こんにちは!
2022年、クラブ創立30周年を迎えた浦和レッズでは、これまで多くの選手が入団し活躍してきました。
その中でも、10番・キャプテン・外国人選手というチームの要となる選手への注目度は特に高いものがあります。
本記事では、その10番・キャプテン・外国人選手にフォーカスし、これまでクラブの歴史を築いてきた歴代選手について、ベスト3のランキング形式でご紹介していきます(^^)/
浦和レッズ歴代10番の一覧
浦和レッズで背番号10をつけた歴代の選手について、一覧にまとめてみました。
所属年 | 選手名 |
1997 | バウアー/べギリスタイン |
1998-2000 | 福永泰 |
2001 | アドリアーノ |
2001-2005 | エメルソン/ポンテ |
2006-2010 | ポンテ |
2011-2014 | マルシオ・リシャルデス |
2016-2021 | 柏木陽介 |
2022- | モーベルグ |
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浦和レッズ歴代10番 | ランキング1位
ロブソン・ポンテ
⚽️Jリーグ⚽️
あのブラジル人J戦士はいま【第6回】ポンテ――「日本に恩返しがしたい」 #ポルティモネンセ のTD兼副会長として #中島翔哉 らの獲得に尽力
👉https://t.co/6QDizsn4PE#浦和レッズ pic.twitter.com/9xOAbftbtY
— サッカーダイジェスト (@weeklysd) September 8, 2020
ポンテ選手は2005年、ドイツ・ブンデスリーガのレヴァークーゼンから浦和レッズに移籍し、中盤の司令塔として2006年のリーグ初優勝、2007年のALC優勝に大きく貢献しました。
その正確な技術と高い得点能力、常に冷静なプレーでチームを牽引し、2000年代中盤の浦和の黄金期を築いた「偉大な10番」です。
トップ下を主戦場としていましたが、右サイドでプレーしたり、試合展開によってはボランチにポジションを下げる事も。
しかもスタミナも豊富で労を惜しまず走り、2列目からゴールを狙ったり、絶妙なスルーパスを出すなど、万能型かつ攻撃的なMFでした。
浦和レッズ歴代10番 | ランキング2位
マルシオ・エメルソン・パッソス(マルシオ・パッソス・デ・アウブケルキ)
【#浦和レッズクイズ/2001】
正解は、#エメルソン。J1 2ndステージ 第13節 柏レイソル戦。CKを右足で合わせ、浦和レッズとしての1stゴールを決めました。この試合、エメルソンは2ゴール決め、埼玉スタジアムでのチーム初勝利に貢献しました。#stayhomewithreds #今できることをしっかりやろう https://t.co/x04vOoWvSk pic.twitter.com/q45YA9wdY1— 浦和レッズオフィシャル (@REDSOFFICIAL) May 9, 2020
浦和レッズはJリーグ発足当初、「Jリーグのお荷物」とまで言われていた弱小クラブでしたが、エメルソンはクラブを強豪へと押し上げた功労者です。
そのとてつもない足の速さと規格外の決定力の高さで、クラブ史上初タイトルとなる2003年ナビスコカップ優勝に貢献しました。
こうした迫力あるカウンター攻撃は、「戦術エメルソン」と呼ばれてスタジアムを大いに沸かせたものです。
また田中達也とコンビを組んだ「エメタツ」はクラブ史上最強の2トップとも言われています。
浦和レッズ歴代10番 | ランキング3位
柏木陽介
♦️2010-2021 浦和レッズ 柏木陽介♦️#浦和レッズ #urawareds #☀️ pic.twitter.com/RcYcQmAJeH
— 浦和レッズオフィシャル (@REDSOFFICIAL) March 12, 2021
攻撃の中心として活躍し、「浦和の太陽」と呼ばれた選手です。
2010年浦和に加入時は、不慣れなサイドでプレーしたり、本職のトップ下でも上手く周りと連携が取れず、なかなか本領が発揮できずにいました。
しかしボランチで起用される様になると、徐々に得点に絡む機会が増えていきます。
そして2012年にペトロヴィッチ監督が就任するとシャドーのポジションでプレーし、2015年のJ1リーグ 1stステージ 優勝、2016年J1リーグ 2ndステージ 優勝、2017年ACL優勝に大きく貢献しました。
また左足から放つ正確なフリーキックには定評があり、2016年には6年連続FK弾を決め、中村俊輔選手と並ぶ最長記録となり、浦和の第二次黄金期をを築いた選手のひとりです。
浦和レッズ歴代キャプテンの一覧
浦和レッズでキャプテンを担った選手について、一覧にまとめてみました。
所属年 | 選手名 | 所属年 | 選手名 |
1992-1993 | 柱谷幸一 | 1994-1997 | 福田正博 |
1998-1999 | 土田尚史 | 2000-2001 | 小野伸二 |
2001-2002 | 井原正巳 | 2003 | 内舘秀樹 |
2004-2008 | 山田暢久 | 2009-2011 | 鈴木啓太 |
2012-2017 | 阿部勇樹 | 2018-2019 | 柏木陽介 |
2020 | 西川周作 | 2021 | 阿部勇樹 |
2022- | 西川周作 |
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浦和レッズ歴代キャプテン | ランキング1位
福田正博
【#浦和レッズクイズ/1999】
正解は、ガンバ大阪とベルマーレ平塚(現 湘南ベルマーレ)。得点者は福田正博。福田はこの4試合で合計5ゴールを挙げました。#urawareds #浦和レッズ #Jリーグ #福田正博 #stayhomewithreds #今できることをしっかりやろう https://t.co/u4oWfkKag4 pic.twitter.com/3QIIcYkdY2— 浦和レッズオフィシャル (@REDSOFFICIAL) May 3, 2020
福田選手は浦和のJリーグ創成期を支え、「ミスターレッズ」、「大将」と呼ばれ、サポーターに愛された選手です。
やわらかいボールタッチ、俊足をいかしたドリブル突破からのチャンスメイク、ディフェンスラインの裏への飛び出しを得意としていました。
特にMFウーベ・バイン選手とのコンビネーションは強力で、得点を量産して95年には日本人選手初のJリーグ得点王となりベストイレブンにも選出されています。
こうしたことから、鹿島時代のジーコから「日本人最高のプレイヤー」とまで言わしめた事もあり、名実ともに浦和のエースとして君臨しました。
またPKでの得点も多く、リーグ戦通算26得点を上げ、PK職人とも呼ばれていました。
浦和レッズ歴代キャプテン | ランキング2位
阿部勇樹
㊗️━━━━━━━━🎊
#浦和レッズ ♦️
#天皇杯 優勝🏆
🎊━━━━━━━━㊗️今季限りで現役を引退する#阿部勇樹 選手のカップアップ🏆👏@daikichi22abe@REDSOFFICIAL #urawareds#1219国立ファイナル pic.twitter.com/kSQyrgmNft
— 天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会 (@jfa_tennouhai) December 19, 2021
2007年、千葉から移籍以降、ACL, ルヴァンカップ、天皇杯など、浦和に多くのタイトルをもたらした功労者です。
攻守のバランスに長けており、守備的ポジションならキーパー以外は全てこなせるというポリバレントなプレーヤーでした。
そのため浦和移籍当初はセンターバックやサイドバックで出場することもありましたが、2010年頃からはボランチとして定着。
労を惜しまずピッチを駆け回る献身的なプレースタイルで、多くのサポーターに愛された選手です。
また芸術的なフリーキックにも定評があり、イングランドのベッカム選手に例えて「アベッカム」と呼ばれる程でした。
その後チームの成績が低迷した時、辛辣な言葉を投げつけるサポーターの元へ行き、「次は必ず勝つから」「一緒に戦おう」と涙ながらに叫んでいた姿は、サポーターの胸を強く打ちました。
選手だけでなく、サポーターにとっても、熱いキャプテンでした。
\ 2022/11/12(土)開催 | 引退試合の放送・配信情報! /
>>阿部勇樹引退試合のテレビ放送やオンライン配信ライブ動画の視聴方法は?
浦和レッズ歴代キャプテン | ランキング3位
山田暢久
【浦和レッズ】山田暢久 現役引退のお知らせ http://t.co/l3tH0wqPwi pic.twitter.com/KV4H9g8StP
— SOTO (@19985soto) January 24, 2014
浦和入団当初はフォワードとして福田選手と2トップを組んだこともありましたが、95年以降は主に右サイドバックや右ウイングバックとしてプレーしました。
その他にもトップ下、ボランチ、センターバックなど、ゴールキーパー以外のすべてのポジションをこなす事ができるというポリバレントな選手でした。
こうしたことから、チームの状態により違ったポジションで、かつ高いレベルでプレーした山田選手は、類まれなサッカーセンスの持ち主と言えます。
また山田選手はキャプテンシーにも定評があり、在籍当時の個性的な選手たちをまとめる事ができたのは、山田選手だけだっただろうと言われています。
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浦和レッズ歴代外国人選手の一覧
浦和レッズでこれまでに入団・活躍した外国人選手について、一覧にまとめてみました。
非常に人数が多いため、下記条件を満たす選手についてリストアップしています。
✅J1通算30試合以上出場していること
✅2シーズン以上在籍した選手であること
✅ただし、現所属選手を除く
所属年 | 選手名 | 所属年 | 選手名 |
1993-1995 | ルンメニゲ | 1994-1997 | ブッフバルト |
1994-1996 | バイン | 1996-1997 | ボリ |
1997-1999 | ベギリスタイン | 1998-2000 | ペトロヴィッチ |
2001-2002 | トゥット | 2001-2005 | エメルソン |
2004-2007 | ネネ | 2005-2010 | ポンテ |
2006-2007 | ワシントン | 2008-2011 | エジミウソン |
2010-2012 | スピラノビッチ | 2011-2014 | マルシオリシャルデス |
2015-2018 | ズラタン | 2017-2020 | マウリシオ・アントニオ |
2018-2020 | マルティノス | 2019-2020 | エヴェルトン |
2021- | ユンカー | 2021- | ショルツ |
2022- | モーベルグ | 2022- | シャルク |
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浦和レッズ歴代外国人選手 | ランキング1位
ギド・ブッフバルト
/
懐かしの外国籍選手を振り返ろう✨
〜浦和レッズ編〜
\Jリーグオリジナル10クラブから#浦和レッズ で活躍した#ブッフバルト 氏をピックアップ❗️
皆さんの思い出の選手は誰ですか❓
リプライで教えてね☺️5月15日は #Jリーグの日@REDSOFFICIAL
#Jリーグ pic.twitter.com/ENTO8oj7BA— Jリーグ(日本プロサッカーリーグ) (@J_League) May 13, 2021
元西ドイツ代表選手。
1994FIFAワールドカップアメリカ大会後に浦和レッズに入団しました。
ギド・ブッフバルト、元フランス代表のバジール・ボリ、田口禎則の3バックは「赤い壁」と呼ばれ、その中でもブッフバルトバルト選手は守備の要として活躍していました。
強固な赤い壁に守られ、高速カウンターへと繋げるスタイルが当時の浦和のストロングポイントだったのです。
そして現役引退後は2002年に浦和のテクニカル・アドバイザーに、2004年には監督に就任しました。
すると就任一年目にしてチームを初のステージ優勝に導き、2005年には天皇杯優勝、2006年には悲願のリーグ初優勝をもたらしたのです。
選手としてだけでなく、監督としてもクラブに貢献し実績を上げた唯一の外国人でした。
浦和レッズ歴代外国人選手 | ランキング2位
ワシントン・ステカネロ・セルケイラ
⚽️Jリーグ⚽️
「ワシントンは強烈。日本人では止められないと思った」【栗原勇蔵が選ぶJ歴代最強チーム|未公開編2】
👉https://t.co/ieokvazsqr#reds #Jリーグ #fmarinos #浦和レッズ pic.twitter.com/YbAS6ld4TJ
— サッカーダイジェスト (@weeklysd) June 3, 2020
ペナルティーエリア内で無類の強さを発揮した選手でした。
190㎝の大きな体が目立つ選手でしたが、決して力だけに頼るのではなく、ポジショニングの良さと、相手ディフェンダーを巧みにかわしてマークを外し、そして高度な足元の技術でゴールを量産したのです。
特にワシントンとポンテのホットラインは強力で破壊力があり、スタジアムを大いに沸かせました。
そして2006年には26得点をあげてクラブをリーグ制覇へと導き自らも得点王となり、2007年にはALC優勝、クラブワールドカップ3位に大いに貢献しました。
浦和に在籍していたのは2年間だけですが、その貢献度から記憶に強く残っている選手です。
浦和レッズ歴代外国人選手 | ランキング3位
キャスパー・ユンカー
浦和、FWユンカーが後半ハットトリックで3点差追いつく! クラブ最長の6戦連続ドロー https://t.co/Fzw18LdwyR #サッカー #soccer #football pic.twitter.com/LrWfGlVXdp
— スポーツ報知 (@SportsHochi) May 18, 2022
2021年、浦和は興梠選手の負傷、開幕直前のレオナルド選手の移籍でFW不足に悩んでいました。
そこへシーズン途中に移籍してきたユンカー選手は、まさに救世主の様な存在だったのです。
デビュー戦となるルヴァンカップでは、開始9分後に汰木選手からのスルーパスを斜めに走りながら受けると、ペナルティーエリア左から左足でシュート、見事に初ゴールを決めました。
その後も4戦連続してゴールを重ね、浦和サポは歓喜にわきました。
ユンカー選手の特徴は、裏への飛び出しの上手さ、ボールコントロールの巧みさや、シュートパターンが豊富にある事があげられます。
また視野が広く予測能力もあり、サッカーIQの高い選手だと言えます。
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まとめ
歴代の浦和レッズ10番とキャプテン、外国人選手について、ランキング形式でご紹介しました。
これまで浦和には多くの10番を担った選手、キャプテン、外国人選手がいましたが、それぞれに個性や特徴があり、ベスト3を決めるのは大変難しい作業でした。
また人によって、世代によっても選出する選手が変わってくると思いますが、今回は記録よりも記憶に残る選手と考えて選考してみました。
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